大人になりきれないアラサーおっさん

酒をやめて食べるようになったお菓子はやめられません。kaeutaです。

女子高生という子どもが、電車内という社会で、痴漢という性被害に遭うことについて|Tamaka Ogawa|note
https://note.mu/ogawatamaka/n/n209d5eb2807f

そして日本からオトナがいなくなった 平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談(1) | プレタポルテ – 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/56775

あまり関係なく見える2つの記事なんですが、
なんとなく微妙に「大人」について考えさせられたり。

 

前者は文章の内容自体も重要なのですが、
「女子高生という子ども」という言葉を見た時にすぐ反応できなかったんですよね。
まだまだ自分はアラサーでありながら女子高生を子どもとして見れていない。

それはあまりに二次元に慣れすぎて「女子高生は一般的にロリ」と捉えられないとか
あまりにアホな男子高生だったがために女子高生が大人に思えるとか
そういう話じゃなくて自分が大人になりきれてないのかなって、
ちょうど見つけた後者の記事を見て思ったんですよね。

確かに、最近の自分にとって女子高生との関わりというのは、
二次元創作くらいしか無い訳で妙に聞き分けよかったり描かれる女子高生像を見て、
感覚が狂っちゃってる可能性は否定できないのですが。

 

この大人になりきれない話って「POAROのあと何分あるの?」でも何度も触れているのですが、
実際は毎年毎年ジジイへの一本道を駆け下りているわけですが、
実感としてはいまだ大学を出てからちょっとしか経ってない感じなんですよね。

そこにあるのは昔ながらの家族感がダサいとの刷り込みもあるんですが、
重要なのは子供になっても問題ない場所(=インターネット)が常に身近にあるってのは
大きい意味を持つんじゃないかって思うんですよね。

今になってもアニメとか見ているわけですけども
それが許容される場がある事により「このままでも問題ないんだな」となり、
無理に自分を変える必要性が無いという意識につながっているのではないかと。

 

さて、今年の6月には子供が産まれる予定なのですが、
子供ができることにより自分の意識がどう変わるのか、
1年後になったら変化が見えてくるのかもしれません。

なーんか、「友達みたいな親」ってのもちょっと違うような気はしているんですが。